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第13回 「今」 片本 貴久
別にサッカーはやらなくていい。
生きてくうえで、スポーツも必要ない。
コロナウイルスとは全く関係のない内容を書こうとしたものの、やはり、この現状、今から目を背けることなく向き合って、感じることをここに残そうと思い、文章にしました。

今回ブログを担当させていただきます、商学部4年の片本貴久です。
拙い文章ではありますが、最後まで目を通していただけると幸いです。


世界が揺れた。それと同時にスポーツ界も揺れた。
サッカーの価値とは何か。スポーツの価値とは何なのか。
無我夢中でプレーすることで喜怒哀楽を感じ、成長し、誰かに影響を、価値を与えられる。
幼い頃、プロの試合を観て、カッコいいな!と純粋に憧れを抱いた自分がいた。
いつからか「誰かの為に」なんて思ってみたりするようにもなった。十数年続けてきた今、あの頃の無邪気にボールを蹴り、追いかける自分は存在しているのか。でも、結局根本にあるのは、自分がやっていて「楽しい」から。これが僕を突き動かすのだと思う。この期間、そんなことを考えている。

自分の人生の多くを占めてきたサッカーの時間。
それが試合や練習どころか、外に出て人に会うことすらできなくなった。
プレーができない今、これまで何不自由なくやってきたサッカーの必要性はあるのかという大きな問いにぶち当たった。
今も明確な答えは出ていない。この問いは自分自身を酷く悩ませた。
なぜなら、「健康に生きることで精一杯の人がいる中、絶対的な必要性は感じない。」この考えが腑に落ちて身をもって体感してしまったから。

ああでもない、こうでもない、そう考えを張り巡らせながら辿り着いたのは、「絶対的な必要性はない。ただ、人の心を豊かにし、心を動かすことはできる。」ということ。
けど、自分にとってもっと決定的で納得感のあるものは何か別にあると思い、それを今日も探している。

(すみません。伝えたい思いがありすぎて、まだ続きそうです。こんなこと考えていたら、別の思いにも出会いました。あと少しお付き合いください。お願いします。)

サッカーができないのは辛い。
しかし、僕にはサッカーができないことよりも辛いと感じたことがあった。
それは、皆に会えないこと。

サッカーが嫌いなわけではない。もちろん大好きだ。でも、それ以上に辛さ、悲しさを覚えたのは、自分にとって何より大切にしたいのは「仲間」だったと、心のどこかで感じているからなのだと思う。

オンラインでは、何度も話をしている。他愛もない話から、熱く、深い話まで。それでも足りない。直接会って、同じ時間を過ごす日々が、何より幸せだということに気づいた。

そこでまた戻る。
僕らを繋いでくれたのは、「サッカー」であると。
サッカーは人と人とを繋ぐことができる。

生きていくうえで、サッカーは必要ない。
ただし、サッカーがあれば、人は心を豊かに、幸せになることができる。
何気ない日常にプラスαの刺激をもたらすことができる。

事実、僕たちがプレーすることだけで世界中は変えられない。
けれど、僕たちがプレーをすることで、隣にいる家族、友達の心を動かすキッカケを与えることはできる。
であるならば、僕たちは、心の底からサッカーを楽しむ価値がある。

とここまで話したが、正直、これだけではないと思っている。
考えれば考えるだけの価値が生まれ、それに正解、不正解などない。
わからなくてもいい。やっていく中で、価値が見えてくることだってある。

「全てのことに意味がある」
その意味を僕は残りの大学生活で、自分の大好きなチームで、大好きな仲間と共に探し続けようと思う。

長々と拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
日々小さな幸せを感じながら、もう少し耐えましょう!きっと明るい未来が待っているはずです!

  
2020/05/17 22:13
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