『縁』/ 佐藤涼真
こんにちは。佐々木からバトンをもらいました、国際政治経済学部二年の佐藤涼真です 。
このような自伝を記すのは初めてですので、拙い文章にはなりますが、どうか最後までお付き合いください。
私は今年から体育会サッカー部に入部し、学生幹事(今は一時的に運営)という役職で活動している。プレーヤーでもマネージャーでもない特殊な立ち位置であるが、そもそもなぜ私が学生幹事を志すようになったのか、手短に記したいと思う。
父親の影響で物心ついたころにはサッカーが好きだった。父親の出身地に位置する清水エスパルスを応援し、100km ほど離れた隣町からわざわざ数時間かけてアイスタに見に行くほど虜になっていた。小学三年生で清水に転勤になったときは、スタジアムが歩いていける距離になりとても嬉しかった。
私が 10 年弱住んでいた清水という町は、言わずと知れたサッカーの町であった。友達との会話はサッカーが中心で、月曜日に学校へ行けば友達と必ず週末の試合の話ができ、町中がサッカーに染まっていた。自分自身がサッカー好きだったこともあり、幼いころに一緒にいた友達は、皆サッカー経験があったりサッカーが好きな人が多かった。
そんな友達に囲まれながら、地元の高校・清水東高校へ進学した。私自身はサッカー経験がないためサッカー部に入部しようという考えはまったくなかったが、中学からの親友がサッカー部にいたこともあり、友達の多くは自然とサッカー部であることが多かったのだが、三年生になりインターハイが近づいたころ、サッカー部のコールリーダーを任せられることになった。
サッカー部でもなくプレー経験すらない自分に任されて戸惑う一方で、憧れの高校サッカーにしかも伝統校である清水東のサッカー部に微力ながら携われてとてもうれしかったし楽しかった。ただ、応援歌を作り、声を出して飛び跳ねていただけだったが、この経験が自分のサッカーに対する価値観を変えた。
受験で紆余曲折があり、大学は青山学院大学に進学した。バイトをこなしそのお金をサッカー観戦と野球観戦に費やす日々であったが、それと同時に感じたことがあった。それは、自分がどれだけサッカーが好きかということ。清水にいるときは当たり前すぎて気づいていなかったが、上京し大学で出会った同級生と過ごすうちに自分は相当サッカーが好きであることに気が付いた。高校時代の同級生が大学サッカーで活躍していることに刺激を受けたこともあり、いつしかサッカーに携わりたいと思うようになった。そんな思いを、後輩や同級生に相談していくうちに、学連や学生幹事という役職があるということを知り、サッカー部への入部経験がない自分でもチャレンジしたい、大好きなサッカーに携わることができるならやってみたいと思ったため、こうして今サッカー部に所属している。
父親がサッカーを見ていければ、転勤で清水に引っ越していなければ、高校で清水東高校に入学していなければ、高校で親友に恵まれていなければ、今こうしてサッカー部に入部していることはなかっただろう。こうした「縁」に心から感謝するとともに、これからも愛するサッカーに携わっていきたいと思う。
長くなってしまい読みづらい文章だったとは思いますが、最後までお付き合いくださりありがとうございました。次回は、高井です。
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