『宝石になった日』/ 永井颯真
日頃より青山学院大学サッカー部のご支援・ご声援ありがとうございます。
コミュニティ人間科学部コミュニティ人間科学科4年の永井颯真です。
Iリーグ最終節、駒沢大学戦で高校の同期である渋谷祥馬に「そうまってサッカーがめちゃくちゃ好きって感じじゃないよね」的なことを言われました。たしかに観る方が好きだと思うし、周りの部員と比べたら好きじゃないかもと思います。この会話をしたとき、「なんで15年間もサッカーをしているのだろう」、「自分にとってサッカーとはなんだろう」と普段あまり考えないことを考えるようになりました。引退ブログでは大学4年間を振り返るとともに、この問いの答えを探したいと思います。
拙い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
高校3年時、周りの多くがサッカーをやめる中、大学サッカーを続けることを選んだ。「プロサッカー選手になりたい」、「トップチームの試合に出て活躍したい」といった明確な目標はなく、「サッカーやるなら体育会でやりたいなあ」というぼんやりとした気持ちと高校の同期である井上周、佐藤星南、松元亮太郎が続けるから大学でもやろうとつられる形で入部を決めたと思う。特別上手い選手ではなかったし、身体能力が高いわけでもなかったが、なんとなくできるだろうと思っていた。しかし、現実はそんなに甘くなかった。初めはサテライトBからスタート。周りのレベルの高さについていくことが全く出来なかった。自分のプレーは何一つ通用せず、今まで積み上げてきた努力や経験が無駄だったと思うほどに実力の差があった。前期のIリーグはほとんどメンバーに入らず、練習試合ではいつも最後に名前があった。今でも練習試合のとき、結城快也(4年山形中央高校)、畠中桜介(4年市立函館高校)、井上周と4人で長い待ち時間を、下手くそなのに文句を言い合いながら過ごしたことを覚えている。自分は特徴もないただ普通の選手であることは理解していたが、正直とても悔しかったし、チームが試合に勝っても素直に喜べない自分がいた。徐々に大学サッカーにも慣れてきて、後期はIリーグのメンバーに入ることが多くなり、少しだが試合に出ることが出来た。しかし、試合に出てもチームのプラスになるプレーが全く出来なかった。大学1年目は、サッカーが楽しいと思ったことはほとんどなかったし、「なんでサッカーをやっているのだろう」「辞めた方がいいんじゃないか」とほぼ毎日考えていた。ただ、サッカーを終わらせる勇気がなく、なんとなく続けることにした。
大学2年目。この年は私が一番成長した年だったと思う。2年目もサテライトBでスタート。サイドバックに転向し、シーズン初めから終わりまで継続的にIリーグ出場することが出来た。2年目ということもあり、大学サッカーや青山学院大学サッカー部に慣れ始めたこともあるが、おそらく精神的な面における変化が大きかったと思う。この年の4年生は尊敬できる人が多かった。サッカーでは常に声を出しチームを盛り上げてくれた。サッカー以外の所でも積極的に声をかけチームをまとめてくれた。今思えば驚くことだが、練習後バイトが始まるまで、旧磯村家で4年生と私一人で数時間話していたことを覚えている。きっかけは分からないが、私の中で消えていたサッカーに対する熱を再度燃やしてくれた。本当に感謝している。1年目はただなんとなくサッカーをこなしていたが、先輩方の存在もあり、熱を持って上手くなるために練習をした。自分で言うのもなんだが、1年目とは見違えるほどにサッカーが上手くなったと思う。ありがたいことに夏はサテライトAの遠征に呼んでいただいた。上のカテゴリーでやる自信はなかったがとても嬉しかったし、何よりトップチーム、サテライトAで活躍する同期に追いつけるかもしれないと思うと少し安心した。呼ばれたからにはサテライトAに昇格してやろうと強い気持ちを持って臨んだが、実力の差は明白だった。遠征では公式戦に45分だけ出場、ほぼ練習試合に出場する遠征だった。遠征後はすぐにサテライトBに戻った。分かっていたが同じ遠征で活躍していた同期や後輩を見ると悔しかった。だが、1年前の自分とは違いまた1から頑張ろうと思えた。しかし、そう上手くはいかなかった。私達の代が中心の新人戦がスタート。関東リーグも被っておりトップチーム選手は日程的に厳しかったため、自分はメンバーに入ると思っていた。しかし、一度もメンバーに入ることはなかった。新人戦は成績が良く同期が楽しそうに話しているのを聞いていた。正直何一つ笑えなかったし、静かにしろよと思っていた。ましては練習後に新人戦の審判をやらされ、煩わしかった。心の中で「ボコボコに負けろ」なんて思っていたかもしれない。結果は、筑波大学に大敗し、ちょっと嬉しかった気もする。2年目は、成長でき試合でも活躍できた年だったが、同時に悔しかったし苦しい年でもあった。だが、サッカーを自分の限界まで挑戦したいと思うようになっていた。
大学3年目。この年はとても楽しかった。3年目は、サテライトAでスタート。1つ上のカテゴリーで活動することに不安はあったが、活躍できる自信はあった。迎えたIリーグ開幕戦。相手は、國學院大学。個人的にプレーめっちゃが好きな山本瞭(4年市立東高校)が頭だけでハットトリックしたのを覚えている。私は、可もなく不可もないプレー内容だったが、このカテゴリーでやっていけるかもとさらに自信がついた気がした。だが、それはすぐになくなった。第2節の明治大学戦。拮抗した試合が続く中、私のミスから失点し負けた。その火、私の中にあった自信が一気に消えた気がした。しかも、ロングスロー持ちの木村匠汰(2年矢板中央高校)や左利きの山本翔太(2年ルーテル学院高校)、推進力お化けの山崎瑛太(2年横浜隼人高校)、シンプルにサッカーが上手い安藤優羽(3年名古屋高校)など、私よりも上手い後輩は多くいたし、試合では私よりも活躍していた。スポーツの世界に年齢は関係ないと理解していたが、後輩が活躍する姿を見て、大学で積み上げた努力に意味がなかったのか、今から真剣にサッカーに向き合っても意味はないのかと思わされた。それでも、腐らずに続けることができたのは「自分の限界までサッカー挑戦したい」という想いが強くあったからだと思う。今思うと、何かと適当に過ごしている自分がここまで強い想いを持っていたことはとんでもないことだと思う。このシーズン途中から、「トップチームの試合に出る」という明確な目標が生まれた気がする。トップチームの選手と比較したら圧倒的に下手くそだったし、私の実力からしたら身の丈に合わない目標だったが、この目標を達成しようと決めた。
大学4年目。「トップチームの試合に出る」という身の丈に合わない目標を立て迎えた最後の年。シーズン前のカテゴリー分けゲーム直前、インフルエンザにかかり自宅待機。春合宿でも万全な状態で挑むことができず、今シーズンもサテライトからスタート。おそらくカテ分けゲームに参加しても結果は変わらなかったと思うが、「もしカテ分けゲームに参加していたら」と考えると正直とても悔しかった。実力もないのに大それた目標を立てた自分が恥ずかしく思えた。だが、後悔がないよう、与えられた環境でベストを尽くすことを決め、「Iリーグ関東1部優勝」を目標にシーズンをスタートした。4年生としてチームを引っ張ることに不安しかなかったが、幸いにも、同じカテゴリーには何事も優秀で尊敬している山田智暉(4年都立駒場高校)、一緒にプレーしていて一番楽しい細野貴也(4年真岡高校)、いつも頼りになる宮代敬弘(4年多摩大学目黒高校)がおり、とても心強かった。彼らがいれば良いシーズンを過ごせるかもしれないと期待が高まった。だが、今シーズン初めの私は救えないほど下手くそで、チームにとって迷惑でしかなかった。Iリーグ開幕戦前日に高熱を出し、開幕戦を欠場。復帰して試合に出ても何も出来ない。複数失点に関与し敗戦。何も出来ない自分に悔しさもあったが、それより、4年生なのに足を引っ張っている情けなさと少しでも上に行けるかもと勘違いしていた恥ずかしさ、もう私のサッカーは終わったのかという絶望に押しつぶされた。なんなら試合は後輩に任せて自分はチームを盛り上げる役に徹した方がいいのではないかとも思っていた。さらに、頼りにしていた智暉のトップ昇格、貴也の一カ月離脱もあり、私のメンタルはズタボロだった。それでも、めげずに続けることが出来たのは、いつも楽しませてくれる同期や慕ってくれる後輩、信頼していただいた指導者の方の存在があったからだと思う。本当に感謝している。周りの助けもあり、私は有り得ないほどの好調期に入る。たぶんこの1.2カ月は、私のサッカー人生の中で一番調子が良かった時期だと思う。また、ドイツ仕込みの栗原俊真(4年國學院大學久我山高校)、快速の湯浅敬互(4年都立東大和南高校)、天才プレーヤーの星南(怪我により一瞬で離脱。もっと一緒にプレーしたかったって、、)がチームに加わり、私の気持ちも高まった。Iリーグでは全然勝つことが出来なかったけど、シーズン初めとは違いサッカーがめちゃくちゃ楽しかった。好調期を迎える中、トップチームの夏の遠征に呼ばれ、一時期だがトップチームに参加することになった。数合わせだったかもしれないがとても嬉しかった。もしかしたら一度諦めた目標が叶うかもしれないと胸が高ぶった。当たり前のことだが、トップチームの選手は上手く、目に見える実力の差があった。だが、遠征の試合では最低限は出来ていたと思うし、自分のプレーを最大限発揮できていたと思う。お世辞だったかもしれないが周りから「プレー良かったね」と言われときは素直に嬉しかった。しかし、遠征後は何もなくサテライトAに戻った。「上がって試合に出れないより、試合に出れた方が良い」と周りから何度も言われたし、自分も周りにそう言って、結果を肯定していた。だが、本当はとても悔しかった。予想通り、身の丈に合わない目標がただ目の前で崩れただけだったが内心はとても苦しかった。数日は気持ちの整理がつかなかったが、後悔がないよう、気持ちを切り替えIリーグ関東1部に残留するためにラスト2カ月を全力でやると決めた。その矢先、怪我により1カ月離脱。チームが苦しい状況の中、4年生としてチームを引っ張らないといけないのに何も出来ず情けなかった。そして、何も出来ない自分に苛立った。そんな中、サテライトAのメンバーは熱い試合を魅せてくれた。雨の日の法政大学戦、アウェーでの拓殖大学戦。あの逆転劇、同点劇は今でも忘れられない。試合を外から観ていて、「こいつら良いチームだな」と思うのと同時に、私はこのチームにいらないのではと感じていた。実際、私が出ていない試合の方が、勝ちが多い気がする。(勝率とか詳しく計算してないから分からないけど)周りにも「おれが出ない方が良くね」的なことをふざけて話していたが、内心は真剣にそう思っていた。安藤優羽や山本翔太、入野瑛太(1年國學院久我山高校)が出た方がチームのためになると思っていた。だが、簡単に諦めることは出来なかった。このまま終わっていいわけがないと自分自身に言い聞かせた。復帰後、試合に出る、出ないとか周りの選手の方が良いとかそんなの関係なくただがむしゃらに練習をした。ありがたいことに、直さん(松井直コーチ)は私を試合で起用してくれた。サテライトAのメンバーも背中を押して試合に送り出してくれた。試合で必要不可欠な敬互が「そうまが必要」と言ってくれた。私は信じてくれた周りへの感謝とこの期待に必ず応えるという強い気持ちを持って残り2試合に挑んだ。だが、結果は思い描くようにいかなかった。Iリーグ最終節、プレーオフと2試合とも負け、Iリーグ関東2部降格が決まった。Iリーグ1部残留のため、練習は全力で取り組んだし、準備は怠らずにした。人一倍声を出し、チームを盛り上げようと努力した。練習後、試合を上手く運ぶためにチームメイトと話し合った。でも、ダメだった。チームを勝利に導くことが出来ず悔しかった。期待に応えることが出来ず悔しかった。後輩にIリーグ関東1部というステージを残すことが出来ず申し訳なかった。4年生として何もすることが出来なかった。磯村慶人(4年名古屋高校)のように、プレーでもっとチームを引っ張っていれば、行動で示すことが出来ていればと考えると悔いが残る1年だったかもしれない(いそ、めっちゃ尊敬してるよ)。大学4年目は、Iリーグ関東2部降格という結果で終わってしまったが、様々な経験ができ、学びの多かった充実したシーズンだったと思う。
引退ブログということで大学4年間を振り返ってみたがどうだろうか。正直、様々なことがあったし、まとまりのない文章で何書いているか私も分からない。だが、私にとってこの4年間は充実したものだったに違いない。私の実力では一緒にサッカーが出来ない選手とサッカーが出来たこと、サッカーが上手くなれたこと、ともに戦ってくれたチームメイトがいたこと、面白い仲間、尊敬できる人に会えたこと、全てが私にとってかけがえのないことだったと思う。大学4年間の中で何度も「大学でサッカーを続けて良かったのか」と考えることがあった。4年生になってもこの疑問を持っていた。引退した日の夜、同期の数人で語り合ったあの時。ほとんどみんな泣いていたから話を盛っていたかもしれないけど、星南、敬互が言葉をくれた時、初めて大学でもサッカー続けてよかったと思えた気がした。私の今までの努力は無駄ではなかったと思えた。サッカーに出会えて良かった。
初めに、「自分にとってサッカーとはなんだろう」という問いを自分に問いかけた。大学4年間を振り返ってみても上手く考えがまとまっていない。だが、私にとってサッカーとは何があっても「夢中になれるもの」なのではないかと思う。たぶん私もサッカーが大好きなのだろう。毎朝5時前に起きて練習に向かう、サッカーが上手い選手と一緒にサッカーをする、練習の後にはみんなとだらだらとくだらない話をする。何ともないと思っていた日常が今思えば、特別な時間だったのだと実感している。
人生100年時代。まだまだこれからだが、こんなにも夢中になれたサッカーがあったことが、私の人生の中で「宝石になった日」。
まとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
最後になりますが、私は多くの人に支えられここまでくることができたと思います。日頃からお世話になっている方、サッカーを指導していただいた方、仲良くしてくれた人、バイトで出会った人、サッカーを通じて出会った人、長い間一緒にいてくれた人、大学生活を豊かにしてくれた「マサヒト生誕祭」のみんな、私の人生を楽しませてくれる「散歩部」のみんな。そして、いつも近くで支えてくれた家族。本当に感謝しています。
今まで本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします!

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