青山学院大学体育会サッカー部オフィシャルサイト

『20年の物語』/中村 亮太
今年のホワイト・デーは東京でも雪が降るほど寒かった。多くの人が家から一歩も出たくないと震える中、自分は清々しい気持ちで20歳になった。そう、ホワイト・デーが自分の誕生日なのだ。その日の練習試合で、雪の中を一番楽しそうに駆け回っていたのが自分かもしれない。

 

そんな自分は、先日来、マネージャーに部員ブログを書きたいとLINEしていた。マネさんも急な話に驚いたと思う。ちょうど、書いてくれる人を探していたようだったのでタイミングが良かった。そこで、改めて、初めて、自分の事を書いてみようと思う。

 

幼い頃から引っ込み思案で、他人に自分の意見を伝えるのが苦手だった。というか、他人

と関わるのが苦手だった。(今でも少し、そうだけど。)幼稚園の頃は、公園に行って

も友達が遊んでいる遊具には近づかなかった。サッカーをやっている人には常識だろうけど、団子サッカーになったら、団子には近づかず、出てきたボールを回収して1人でドリブルする方が好きだった。

 

小学校1年生で近所の公園を拠点としていたFCパーシモンというチームに入った。4年生になってからは、セレクションで合格した川崎フロンターレUー12(フロンターレ・ジュニア)でサッカーを続けた。当時、フロンターレ・ジュニアは全国でもほぼ最強で、チビリンピック、ダノン・ネーションズ・カップでは自分達の代で4連覇していた。ただ、自分はそんな日本一の集団の中でベンチを温めていたのが実情だった。とても試合に出たかったけれど、出場しても何ができるのか、自分でもわかっていなかった。その年、ダノンの全国大会で優勝したチームが参加できる国際大会は、スペインのマドリードで行われた。大会の最後の9位決定戦はドイツ戦、そのラスト2分に出られただけで自分は満足だった。

 

小学校の卒業前、フロンターレからは、ジュニアユースに昇格できないと告げられた。予想していたことではあったが、次はどこでプレーを続けられるのか、途方にくれた。その時、監督が紹介してくれたのが多摩大学目黒中学校のサッカー部だった。練習会に参加したら、サッカーがとても楽しかった。本当にそれだけで、入学することに決めた。あまり大きな声では言えないがフロンターレでのサッカーはあまり楽しくなかった。サッカーをやらされていたという言葉が正しいかもしれない。

 

そんな自分をしっかりと見抜いていたのは、現専修大学の監督であった。「ジュニアユースに上がっても、お前の未来はない」そして「とりあえず自分にボールをよこせ、そう試合で言えるようになったらお前は成長できる」。今でも重いあの言葉は忘れない。

 

発揮する能力が著しく低く、自分の考えを表に出さない。そんな自分をガラッと変えるためには、関わる「人」と「場所」を変えること、そしてそれが自分の「価値観」と「行動」を変える可能性がある。そういう思いをもって、東京の私立中学に進学した。

結論から言うと、この作戦は成功した。

 

6年の中高一貫校でのサッカー部のコーチ陣、先生からの高い要求は、それまでの自分を180度変えた。多くの人に(親を含めて)「Jリーグ下部組織を出て中学サッカー部に行くのは間違った選択だった」「他の強いクラブチームに行くべきだった」と言われた。だが、やはり自分にとってこの6年間はなくてはならなかった重要な時間であった。

ここの部分は書くことが多すぎるので割愛させていただく。

 

高校3年の12月に大学が決まった。年が明けて春休み期間はイギリスにサッカー留学し、その後、大学入学直後の4月からアイスランドのチームで半年間プレーすることに決めた。大学は入学してすぐに休学した。なぜアイスランドなのか。どうやってチームを決めたのか。イギリスのどこに行ったのか。話が長くなるので割愛させていただく。

 

幼い頃から海外への思いが強かった自分は、初めての異国での一人暮らし生活に胸を踊

らせていた。日本から1万キロも離れた(日本の裏側くらい!)、人口はたったの30

万人の孤島で暮らすのは、最高の気分だった。人種、言語、景色と、毎日が新たな発見に溢れていた。驚いたことに日本人とは、最初の3か月全く会わなかった(そりゃそう

だ)。そして3か月目でよく言われる’’ホームシック’’にもなった。

 

そんな時に偶然、同じチームの外国籍の選手、ブルガリアから来た23歳のミロ・プスカローと、同い年でイギリスから来たブランドンとシェアハウスをすることになった。彼らと過ごした共同生活の日々は特別だった。当時18歳の僕は多くのことを学んだ。

 

毎晩3時に悪夢にうなされるミロ・プスカローや、夜中テレビでプレミアリーグのディベートを大音量で見続けるブランドン。クラクションを鳴らしてアイスランドの首都レイキャビークを鬼ごっこするアイスランド人のチームメイト。しまいには太陽が一日中落ちないアイスランドの夏(白夜)。全てが日本では経験したことのないクレイジーな出来事だった。

 

こんな毎日の中で、自分は大勢に紛れ込んだ1人ではなくて、個性を出していい1人の日本人なのだ、ということを学んだ。自分の考えを主張すること、我慢しないで伝えること、その中で多様性を尊重すること。こんな事を日々学んでいった。

 

帰国し青山学院大学への復学を決断した。アイスランドでの経験を踏まえた上で、自分が生まれ育った日本に帰り何を思うのか。渡航前とは違う視点から物事を考え、授業に取り組めるのではないか。この選択も、正解だった。今まで、なにも感動できなかった日本のあらゆるシステムに感動を覚えた。電車が定時に来る、ルールを守る、話を真剣に聞く。また日本の文化や歴史、政治などにも興味を広げることができた。家族と過ごすこと以上に大切なことはない事も知った。

 

その反面、どこかで日本の生活に窮屈さを感じている自分がいるのも確かだった。

それがなんなのかはわからないけれども。

 

そして今年、その答え合わせ的な意味も含めて、大学間留学を使ってタイの大学に行くことを決めた。自分が一回りも二回りも成長して帰れるように出発の日まで勉強しようと思う。

 

拙い文章に付き合って頂きありがとうございました。質問などありましたら個別にお話しましょう。

 

<nakaryosoccer@gmail.com>


  
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