『サッカーに魅せられて、』/善方寿人
多摩大目黒高校出身、会計部門長、経営学部経営学科4年の善方寿人です。
引退してから3日ほど経ちまして、スキンケアを本気で始めてみています。太る未来もすぐそこに見えているので、筋トレも頑張ることにしました。
最後のブログは、前回前々回とは違って、ボケなし笑いなしで書かせていただきます。
ちなみに、世間からの「ブログ楽しみ」という声をSNSでよく見かけ、しっかりプレッシャーを感じています。ほぼ東野圭吾です。
ぜひ最後までよろしくお願いします。
幼稚園のころから兄の影響でサッカーを始めた。
小学生のころ、サッカー選手のユニフォームを親に買ってもらうとき、メッシでもなく、クリロナでもなく、イニエスタでもなく、シャビを選んだ。メッシのドリブルやクリロナのオーバーヘッドよりシャビのスルーパスとグティのヒールパスに衝撃を受け、感動した。
そんなハイセンスで、渋さも持ち合わせた少年が他にいたのだろうか。
そんな少年だった自分はなぜ大学サッカーに挑戦したのか。
中3のころ公式戦の前日、筑波大蹴球部のモチベーションビデオをYouTubeで見てから寝ることがルーティーンになっていた。その頃の筑波大には、Kaoru Mitomaが在籍していた。ビデオを見ながら、ドリブルが上手な選手がいるなと思いながら見ていた。何を言いたいのかというと、Hisato Zempoは世界より先にKaoru Mitomaを見出していたぞということだ。
このころから大学サッカーに何となく憧れを持っていた。
しかし、高校生になってから大学サッカーのレベルが鬼高いことを知った。そのため、一般入試で入学してもサッカー部に入部できる大学しか受験しなかった。そして、青学のおかげで大学サッカーという憧れの場所に飛び込むことができた。
4年間を簡単に振り返ると、
入部と同時に手術し、先輩たちから「あいつ何者?」という視線を受けながら、リハビリしていた。シーズンが終わったころに復帰し、2回目くらいの練習試合で直さんに、走れなさ過ぎてブチギレられた。おそらくサッカー人生で一番怒られた。今思えば、あの時怒ってもらえたおかげで、サッカーできる嬉しさに浮かれていた自分を見直すことができた。
長期オフが明け、2部練が始まり、キツすぎて、そのころ移動中に聞いていた曲は嫌いになった。その後のカテ分けでまさかのトップとなった。トップで過ごしたこの2週間は今後忘れることはない。自分が一番筋トレできないし、走れないし、強度低いし、下手くそだった。今までそんな立場を経験したことがなかったから、すごく悲しかった。
サテライト落ちを告げられた時に、ホッとしていた自分は、未熟で愚かだったなと今では思う。
2年生ではサテAでIリーグ1部に、ほとんどの試合で使ってもらえた。
開幕戦の明治大との試合は、負けたけど楽しかった。聞いたことある名前の選手が複数いて、とにかく高い強度。毎試合戦うことで、成長を感じていた。最後はプレーオフまでいったが、残留できて良かった。
3年生では常にトップサブだった。
関東リーグにベンチ入りすることは数回あったが、結局関東リーグデビューはなかった。アミノバイタルは初戦だけちょっと出た。なんとも言えないシーズンだった。Jクラブと練習試合できたことは嬉しかったが、チームの力になれていない不甲斐なさとか関東リーグデビューへの諦めとか、複雑な感覚だった。もっと抗うべきだったと思う。
4年生は公務員試験で数か月休んでから遅れて始まった。復帰してからはサッカーできるだけでとにかく幸せだった。それから膝の痛みが再発して、枕を濡らした夜もあったような。それでも、サテBでの練習は楽しくて、引退まで頑張ろうと自然に思わせてくれた。
最後に、サテAでプレーオフを戦うというチャンスをもらった。不安もあったけど、素直に嬉しかった。サテAはとにかく明るくて温かった。
プレーオフは負けた。けど、試合前の円陣の前のユウトさんのミーティングは、一生忘れられない。高揚して、鳥肌が立って、心が震えて、気づいたら叫んでいた。
こうしてHisato Zempoの夢の時間は一旦終了となった。
同期、先輩後輩、マネージャー、そしてスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
たくさんの想いを感じてきたこの4年間が、二度と戻ってこないという現実に寂しさを感じている。
サッカーの楽しさや深さをより感じるとともに、青学サッカー部で出会ったすべての人の人間としての魅力を感じる日々だった。人が生み出す見えないパワーの凄さは、これからの人生でも大切にしたい。
もし、数十年後タイムマシンが開発されたら、もう一度この4年間を過ごしに戻ってこよう。
話は変わるが、
先日、小学校6年間お世話になったチームの会長さんのお通夜に参加した。
多くの人が参列していて、さまざまなヘアスタイルが大集合していた。あの頃のチームメイトや保護者の方に会ったり、お世話になったスタッフの方に会ったり、とても懐かしい時間だった。
大学サッカーのことを聞かれたり、就職先を聞かれたりして、色々な方が気にかけてくれていたのかもしれないと思った。そう思うと、自分がサッカーを頑張る理由は、サッカーを通して出会った人の数だけある気がした。
自分が今までどれだけの人に応援してもらっていたのか。
引退した今、強く実感している。引退した今だからこそ実感しているのかもしれない。
大学まで幸せなサッカー人生を送れたことは、サッカーを通して出会えた人達のすばらしさのおかげです。これに尽きます。
青学サッカー部、4年間お世話になりました。
そして、ありがとうございました。
2025/12/08 21:46