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『ファスナー』/服部航典
ファスナー
 
青学サッカー部の生粋の冷笑者で、いつもニコニコしては、「斜に構えて冷笑」が日課の煌真からバトンを受け取りました。法学部2年の服部です。今回のブログでは何を書こうかと考えてみましたが、特に良い案が頭に浮かばなかったので、私がいつも思っていることを「ファスナー」という言葉をテーマに置いて書き、サッカーの話に繋げてみようと思います。皆さんの意見を伺いたいので、差し支えなければ、最後まで読んでいただけると幸いです。
 
まずは興味深い言葉の紹介からです。「意外な一面って慣用句を考えた人は人間を立体だと思ってて、薄っぺらいって悪口を考えた人は人間を平面だと思っていたのかな。どちらにせよ、裏と表はあるんだね。」これは私が呪術廻戦を視聴していた際に、その次回予告で耳にした言葉です。皆さんはこの言葉についてどのように考えますか?私は、「人間とは面を複数持つ生き物ある」と考えます。どういう意味かというと、「人間は、接する相手や置かれている環境によって、顕在化させる自分(ペルソナ)を使い分ける生き物である」ということです。「person」という単語の語源は「persona」であるという話は有名な話ですが、今回のブログではそれをもう少し深掘ってみようと思います。今回のテーマである「ファスナー」とは、ウルトラマンや仮面ライダーの背中についているファスナーを指し、他人が見ている「自分」と、それに潜在する別の「自分」とのギャップを表す言葉です。「サッカーをしている自分」「塾で先生をしている自分」「福岡の友達と会う時の自分」「一人の時の自分」などの、その時の立場によって変化する「自分」や、「怒っている時の自分」「嬉しい時の自分」「悲しい時の自分」など、その時の感情によって変化する自分など...今(金曜3限の授業中ですが)ぱっと思いつくだけでもいくつもの「自分が入っているファスナー」が、私には存在していることが、この話における卑近な例として挙げられます。このように、皆さんにも複数の「自分」があり、それを使い分けているはずです。中には、他の人に見られると恥ずかしい「自分」がある人もいるかもしれませんね。ねぇ落合くん?その話は置いておいて、「人間は面を複数個持つ生き物」であるため、皆さんの背中にもファスナーがいくつもついているということになります。今回皆さんにお伝えしたいことの核は、「閉じるべきファスナーもある」ということと、「ファスナーは増える」ということです。そろそろサッカーの話に繋げていこうと思います。
 
まず、私にとって「閉じるべきファスナー」とは、「一時的に感情が大きくなっている時のファスナー」です。特に怒りや悲しみなどのマイナスな感情の時のファスナーです。私は、今までの経験として、プレー中は自分のマイナスな感情を表に出す人が多くいるなと感じます。これは忙しい時の、働いているバイトの人もそうです。心に余裕がなくなると、人は簡単に怒ります。プレー中は切羽詰まっているということもあり、大きな声や強い言葉での方が伝えたい情報が相手に伝わりやすいというメリットがあるため、プレー中は問題ない、というよりそっちの方が効率的であると思うのですが、ベンチに戻ってきた時や、はたまた試合後などの、心に余裕がある時に怒る人(どちらもあまりいないですが)は、非常に非効率的であり、話が別だと考えます。なぜなら、感情を削ぎ落とした「情報のみの言葉」の方が相手の気持ちを害さずに情報を伝えられ、効率的だからです。そのため私は、怒っている時は怒っている自分が出てこないよう、ファスナーを閉めるようにしています。たまに途中で噛んで、閉めきれないこともあるかもしれませんが、基本的に怒っている時は静かして、伝えたい情報だけを伝えるようにしています。兎に角、マイナスな感情の時(プレー中や忙しい時のバイト中などの特殊などの特殊な状況下を除く)はファスナーを閉じるようにしてみて下さい。人間関係が円滑に回るようになるかもしれません。
 
そして二つ目の「ファスナーは増える」ということについてです。世は諸行無常、つまり、変わらないものはないので、人間は成長し、変化していきます。言い換えると、「ファスナーが増えていく」ということになります。生まれた当初は「お父さん、お母さんといる時の自分」が入るファスナーしかなかったのに、サッカーのチームや小学校、中学校や高校などのコミュニティに属してしまえば、「新しい自分」、つまり新たなファスナーは一気に増えます。私たちの背中のファスナーは人生を重ねるほど増えていくのです。ここで私が皆様に考えていただきたいのは、「昔のファスナーは開けられるようにしておいた方が良いのではないか?」ということです。より具体的にいうと「昔の自分は、忘れないほうが良いのではないか?」ということです。人間関係を例に挙げると、仲がいい人に対して、接し方が雑になっている人を見かけることがあります。言葉遣いが良くなかったり、約束をドタキャンしたり、遅刻が増えてしまったり...などです。確かに、仲良くよなって時間が経つと、その関係性に慣れて(馴れて)しまってマンネリ化し、出会った時のような「丁寧さ」が欠けてしまいます。また、サッカーにも同じようなことが言えます。私はサッカーが小さな頃から大好きですが、サッカーをするのに慣れて(馴れて)しまって、正直、朝早くの集合に嫌気がさしてしまうことがあります。「サッカーが大好きな自分」が入っていたファスナーが閉じ、「ただの日課としてサッカーをする自分」がファスナーから身を乗り出している状態です。こんな状態では何事もうまくいきません。先ほども申し上げましたが、人間は変わっていくものです。重要なのは、変わる前の自分を忘れないことであると私は考えます。「初心忘るべからず」という言葉があるように、未熟であった最初の頃の志を忘れずに、向上心を持って過ごす(プレーする)ことが、人間関係やサッカーを上手に進めていく上で、必要不可欠ではないでしょうか。私はそう思います。「閉じるべきファスナー」があれば、「開けるべきファスナー」もある、ということですね。
 今回の話をまとめると、私たちの背中には、たくさんのファスナーがついています。怒りや悲しみで自分を見失いそうなときは、そのファスナーを閉じればいい。しかし、昔の情熱や初心を忘れてしまったときは、もう一度そのファスナーを開ければいい。人生に必要なのは、すべてのファスナーを開けっ放しにすることでも、すべてを閉じてしまうことでもなく、どのファスナーを閉じ、どのファスナーを開けるべきなのかを、自分で考えることなのだと私は思います。皆さんの背中には、今いくつのファスナーがついているでしょうか。そして、その中には、閉じたままになっている「昔の自分」がいないでしょうか。もし心当たりがあるなら、たまにはそのファスナーを開けてみてもいいのかもしれませんね。長くなってしまったので、今回はここで終わりにします。
次回のブログは、キレのあるドリブルが持ち味の、キレの選手、金子隼大です。彼とはいつも練習後に食事に行くような仲ですが、話が非常に面白いです。キレのある秀逸なブログを見せてくれるはずですので、大きな期待を胸に、彼の、’’キレのブログ’’ を心待ちにしましょう。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

  
2026/09/02 17:50
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