青山学院大学サッカー部オフィシャルサイト

『覚悟』/安藤優羽


日頃より青山学院大学サッカー部のご支援・ご声援ありがとうございます。
名古屋高校出身、経済学部4年の安藤優羽です。
引退ブログのトップバッターを任されたことに正直、荷の重さを感じていますが、自分の人生を振り返る貴重な機会だと捉え、頑張って書いてみようと思います。文章作成能力が著しく低いので、拙い文章になってしまいますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

2025年11月15日、本気でやる16年間のサッカー人生が終わった。それでも今の心境は今までとなにも変わらず、終わった実感も湧かない。
2週間経った今でも、朝グランドに行ってみんなとボール回しをして、筋トレをしてトーコーキッチンか松屋の朝定食を食べる。そんな日々を過ごしている。
引退してもすぐサッカーをやりたくなる。バルセロナの試合を見たくなる。それはなぜだろう。
考えてみたが、思いつかないのでおそらく僕は
「サッカーに愛され、サッカーを愛するために生まれてきたのではないか」と思い始めた。今。

僕は6歳でサッカーを親友の影響で始めた。
その当時は中日ドラゴンズが好きだったが、野球はユニフォームを着るのが難しかったという理由で見るのは野球、やるのはサッカーが好きだった。
2010年南アフリカW杯のベスト16パラグアイ戦を深夜に両親と3人で見た。その時駒野選手がPKを外して負けた。その光景を見た時から僕はプロになって日本代表になりたいと何となく思うようになった。

小学生時代はFCヴェルダンに入った。
そのチームでは勇気や情熱、やる気をベースに確かな技術を教えてもらった。特に覚えているのはコントロールオリエンタードだ。
自分が行きたい方向にワンタッチで侵入する技術である。それをめちゃくちゃ練習した。そのおかげで今僕が一番得意としているのがコントロールオリエンタード(ファーストタッチ)だ。
小学生時代からメンタルが弱く、キーパーとの一対一は苦手で、得点よりアシストを好むようになった。元々はトップ下をやっていたが、地区トレセンでトップ下に今現在プロで活躍している選手がいたためサイドバックにコンバートされた。(これは1つの挫折だった)

中学は刈谷JYに入った。刈谷はとても技術的なチームでずっとドリブル練習や、細かいパスワークの練習をした。1.2年の頃はロングボールやクロスは禁止。それくらい技術に特化したチームだった。そこで今の技術は磨かれたのだと思う。戦術的にも優れたチームで監督からマンチェスターシティのデルフがやっていた偽サイドバックの映像を見せてもらい、僕はサイドバックとしてよく実践していた。その頃から戦術を考えたり、実行したりするのが好きになった。しかし、3年の頃指導者がとても怖い人に代わり、僕のサッカー人生も変わった。
先ほども述べた通り、僕はとてもメンタルが弱い。特に怒られることに弱い。萎縮してしまう。
3年になってから怒られる回数が増え、イップスになった。練習では良いプレーができるのに、試合になるとふくらはぎが鉛のように重くなり普段のプレーができない。試合前の円陣では吐きそうになり嗚咽する。(今でも引きずっており、緊張すると嗚咽してしまう。)こんな精神状態でプレーをしていた。そのため3年ではあまり試合に出れず大きな挫折を味わった。それでもこの経験は今の僕を形作り、大きな財産になった。

高校はサッカーと勉学を両立したいという気持ちで名古屋高校に進学した。名古屋高校では1年から出場機会をもらうことができ、順風満帆な生活をしていた。実際、愛知県では1番サッカーが上手いと思っていたし、メンタル的にもとても安定していた。高校では磯村慶人(青山学院大学サッカー部前年度主将)に出会った。入学当時いきなりLINEを追加してきて毎日LINEを送ってきた。僕の面倒をとても見てくれてすごく助かった。磯村はその頃からとても意識が高く、朝毎日自主練して、午後は最後までグラウンドで自主練をしていた。僕はそんな磯村に影響されてずっとその生活を真似した。その甲斐もあり、実力と自信両方付いてきた。
高3の選手権は怪我をしてしまい、1分も出ることが出来なかったが、1番充実した期間だったなと感じる。

ここからは大学です。

大学も磯村と同じところに行きたいと思い青学に進学した。
青学の最初にボールを使った練習では、この学年で自分が1番サッカー上手いと本気で思った。高校時代プレミアリーグでやってた選手がゴロゴロいたのに自分の方が優れていると思った。関東リーグの試合を見ても、自分が試合に出た方が活躍できると思っていた。(現実はそんなに甘くなかったけど)

1年次はサテAで今まで交わったこともないような強豪校の人たちと一緒にプレーして、自分でも分かるぐらい大きな成長を遂げた。
特に落合乃安と過ごす時間が多く、毎日一緒に最後までグラウンドに残って自主練し続けた。1年の終わりにトップチームに上がり、もっとレベルの高い環境でやれることに喜びを感じた。それでもメンタルが弱かったため、先輩にビビりながらプレーして大事な試合でも良いプレーをすることができなかった。

2年の関東リーグ開幕戦では井上駿也真に負け、ベンチ入りをすることができなかった。
僕はプライドだけは高いため、中々自分の負けを認めることができず、そこからは不貞腐れる期間が続いた。そこからはサテAにすぐ落ちて、伝説の直さんブチギレ事件が起こった。(聞いた話では、直さん史上最もキレた瞬間だったらしい)
その事件により夏の遠征ではサテBにも降格し、青学の1番下の選手になった。
それでも何とか努力を続け2年の終わりにはまたトップチームに上がることができた。

3年では初めて関東リーグベンチ入りを果たした。しかし、ベンチ入りした試合の2週間後のトップとサテAの紅白戦で同じポジションの宮ア開がゴールを決め、カテゴリーが入れ替わりサテAにまた降格した。毎回落ちた時は悔しいと思うものの、出場機会が増えるからいいやという言い訳とともに自分を納得させていた。
結局3年次もそこまで試合に出ることができなかった。Iリーグの後期立教大学戦では自分のせいで2失点した。試合終盤、足が攣っていて体が動かず相手を引っ張って倒してしまい、PKを献上。見事に決められ負けた。
PK献上の際、相手選手から「足全然運べてなかったの自分で気付いてるよな笑」と煽られたのは一生忘れることができない思い出です。
その試合を機に、田中星凪と共にスタメンから外れベンチ生活が続き、最終節はベンチ外で3年を終えた。

そして4年。今年こそはと迎えたが、オフ明けて1週間後に腸脛靱帯炎になって離脱した。
シーズン前の期間をほぼサッカーすることができず、大事な韓国遠征でもほとんどプレーすることができなかった。
そして4年はサテBスタートになった。例年だと4年でサテBにいたら中々トップには上がることができなかったため、もうトップは無理か〜と内心諦めていた。それでも今年はサテBからトップに直接上がれる方式に変わっていた為ほんの少しだけ希望は捨てずにいた。
また、今年のサテBは本当ならサテBにいるべきでない選手が多くいた。
特に上田慎明と木村匠汰がいたことは自分にとって大きかった。一緒に上を目指して頑張ろうと僕を引っ張ってくれた。すごく感謝している。
Iリーグでは描いていたものより良い結果を残すことができ、サッカーをする喜びをとても感じていた。サテBの監督である諸さんにも信頼して主力として使ってもらい、毎週その試合のために当たり前のように準備をする、そんなルーティーンをこなすことができて嬉しかった。
そこで5月、トップの怪我人が多いという理由で厚さんにトップに上げてもらった。
正直めっちゃめちゃ嬉しかった。もう終わったと思っていた僕を、期待して信頼してくれてトップで使ってくれた厚さんには本当に感謝しかないです。
前期は関東リーグデビューをすることができなかったが、後期の開幕戦中央学院大戦で初めて関東のピッチに立った。大学1年の時に田中星凪、大里直也、落合乃安と共に立ち上げたLINEグループ 「関東リーグへの挑戦」(全員が関東リーグに出場するという誓い)
これをみんなで達成できた瞬間だったため、とても嬉しかった。
そして共栄大学戦では関東初スタメンを飾ることができた。あとはみんなで関東3部優勝し、2部昇格を決める。その目標に向かって走り続けた。
そして迎えた最終節。対作新学院大学。
試合前はこの試合が一生忘れられないものになるとは思いもしなかった。
僕はベンチからのスタート。残り15分違い見せれたらいいなと思っていた。
前半20分頃、同ポジションの高橋悠がピッチに倒れこんだ。僕はアップする暇もなく、何も考える暇もなく、ピッチに送り出された。
心の準備は何もできていない。それもとてもメンタルが弱いのに。
体は硬直し、周りも冷静に見えない。こんな状態だった。そして前半終了間際、木村匠汰からヘディングのパスを受け取った僕は視界が20度くらいしか無く、ノールックでバックパスした。顔を上げたら相手がボールをダイレクトでシュートしてゴールが一瞬で決まった。
思わず頭を抱え、目の前が真っ白になった。
それでも応援席からは「安藤大丈夫だぞ!切り替えろ!」と優しい声。それがより自分を痛めつけた。結局そのまま試合は進み0対1で敗戦。関東2部昇格は果たせなかった。
まさに僕のせいで青学の夢を終わらせてしまった。そんな状態では顔を上げることができず、特に監督である厚さん、そして1年間主将としてチームを引っ張ってくれた金子星太には本当に申し訳ない気持ちしかなかった。

最後まで変われなかったなーと感じた。
メンタルが弱く、やらかす。期待に応えられない。普段のプレーができない。
なぜなのか。これからもこのままの自分で過ごしていくのは嫌だなと思う。
この今までの人生で何が足りなかったのか。
ずっと有耶無耶にしてきたが、今考えてみればわかった。
圧倒的に「覚悟」が足りなかった。
僕には人間として深さがない。芯となるものがない。寺岡潤一郎のように黙々とやり続ける。そんな自分はいなかった。
プロになりたい、関東で活躍したい、スタメンを勝ち取りたい、思いはあったものの、心の底からそう思えてはいなかった。思えていれば、もっと自主練、筋トレする。食事、睡眠にこだわる。プロになるためにやらなければいけないことはたくさんあった。それでも出来なかったのは自分の甘さであり、今足りない所だと思う。覚悟を持つことで行動、メンタルが変わる。だからこそこれからの人生で何か芯となるものを持ち、歩み続けたい。

僕はスポーツから、サッカーから多くのものを学んだ。みんなで勝利を勝ち取った喜び、ライバルに負ける悔しさ、苦難を乗り越え努力し続けることの大切さ、仲間がいてくれることの有り難み。これはサッカーというスポーツだったからこそ味わえたことだと思う。
そして、僕はサッカーに愛され、サッカーを愛している。そう思うことができているのは、サッカーを通じて出会ったすべての人がいたからだと思う。関わってくれた皆さん、本当にありがとうございます。

僕は青学で大学サッカーをやって本当に良かった。本当に楽しかった。
毎朝グラウンドに行って、本気でサッカーをして、グラウンドで駄弁って、谷口登爽に早く帰んねって言われて、昼飯行って、ゲームして、夜飯行って、温泉行って。ずっと一緒に過ごした。
1番濃い時間を過ごし、このメンバーでサッカーをできたことは一生の財産です。
4年間ありがとう。

両親へ

これまで何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとう。たくさん迷惑かけたけど、いつも応援してもらってとても支えになりました。これまでの多大なサポートがなければ頑張り続けることはできなかったです。これからは恩返ししていきます。本当にありがとう。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
この引退ブログは、私のサッカー人生を振り返りながら思いのままに綴ったため、読みづらい部分も多かったと思います。それでも貴重な時間を使ってここまで読んでくださったことに、心から感謝しています。
そして、これからも青山学院大学体育会サッカー部へのご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。
2025/12/01 19:41
1 2 3 4 5
前月←   2025年12月  →次月
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031
2022/12/14
2025/12 (5)
2025/11 (5)
2025/10 (15)
2025/9 (12)
2025/8 (5)
2025/7 (9)
2025/6 (19)
2025/5 (10)
2025/4 (4)
2025/3 (0)
2025/2 (0)
2025/1 (4)
2024前の記事に戻る   2025   次の記事へ2026
部員ブログOBブログ公式Instagram

最新の試合結果

  • 【2025/11/8】
    関東大学3部リーグ
    vs東京経済大学
    ○(0-0,2-0)
  • 【2025/11/8】
    関東大学サッカー3部リーグ
    第5位
  • 【関東大学サッカリーグ】
    最新の試合結果はこちらをご覧ください

今週の予定

  • 【トップ】
    Mon:11/10 off
    Tue:11/11 TR7:30
    Wed:11/12TR7:30
    Thu:11/13TR7:30
    Fri:11/14 TR7:30
    Sat:11/15関東リーグ第22節(最終節)vs作新学院大学14:00ko(H)
    Sun:11/16off
  • 【サテライトA】
    Mon:11/10off
    Tue:11/11TR7:30
    Wed:11/12TR7:30
    Thu:11/13TR7:30
    Fri:11/14TR7:30
    Sat:11/15TR7:30
    Sun:11/16 アイリーグ(1部参入プレーオフ)vs帝京大学18:00ko(A)
  •             
    【サテライトB】
    Mon:11/10off
    Tue:11/11 TR7:30
    Wed:11/12TR7:30
    Thu:11/13TR7:30
    Fri:11/14 TR7:30
    Sat:11/15 TR7:30
    Sun:11/16 TR 7:30
青学サッカーユナイテッド映画「MARCH」
Copyright©Aoyamagakuin Univ. Football Club. All Rights Reserved.