『ひとりで生きていたならば』/大里 直也
お世話になっております。
地球社会共生学部地球社会共生学科4年の大里直也です。極寒の中の神田トレーニングからあっという間に時が経ち、最終節の笛が鳴り、サッカー人生に幕を閉じました。今最後の引退ブログを書き始めて、引退した事を改めて実感しています。私の大学サッカーがどんなものだったか綴ろうと思います。拙い文章になると思いますが、最後まで読んでくれると幸いです。
2021年11月14日、第100回全国高校サッカー選手権埼玉県大会決勝戦が行われ、西武台に延長後半アディショナルタイムに失点し、敗戦した。負けた直後は、自分の力不足を痛感し、正直サッカーから一度気持ちが離れかけた。ただ、「まだ成長できる」「もっと上手くなりたい」という想いが勝り、自分自身と向き合うことを決め、大学でもサッカーを続ける事を決意した。監督に青学の練習参加がしたいとお願いし、当時サテライトAの選手たちの練習試合に参加させてもらった。スピード、技術、フィジカル何もかもレベルが違ったが、正直通用した。そして、サッカーの楽しさを改めて思い出し、ここでサッカーしたいと強く思い青山学院大学体育会サッカー部の門を叩いた。
練習参加初日、天候は極寒の中の雨だった。初日にも関わらず神田トレーナーのBtoB10本、セット間は筋トレのメニューを行った。当時あまり体を動かしていなかった私は、走った後のパスコンで足を攣った。安藤優羽くんに「動いてなかったでしょ」と声をかけられたのを鮮明に覚えている。そんな初日から始まった学生サッカー、最初はスポーツ推薦組のレベルに衝撃を受けた。潤一郎と星太と空斗と同じチームになった最初のミニゲーム、潤一郎は針の穴を通すような縦パスを連発し、空斗と星太はオンラインを作りスルーからの連携を見せた。こいつらは何者やと驚き、空斗に「うますぎるね」と声を掛けて褒めるほどだった。サテライトAになり、スポーツ推薦組や先輩たちとハイレベルな環境で成長していった。プレー中の思考力も彼らの考えを聞くことによって吸収していった。そして、最終節、プレーオフでは1G1Aし、チームに貢献することができたと同時に、成長を感じた。
そして、2年生になり、トップチームに上がった。関東リーグに関わり、チームに貢献すると強く決意し、練習に励んだ。そして、早稲田大学戦で関東リーグデビューを果たした。そこから途中出場での機会が多くなったが、チームの勝利に貢献することはあまりできなかった。そして、留学に行くことになり、半年チームを離れた。プレーオフもタイからYouTubeで観戦していた。降格、とても悔しかったし、自分は何もできなかったと力不足を痛感した。そこから、タイでの生活も変え、ジムに行きトレーニング、チームに参加し試合にもたくさん出場した。3年生では結果を出す、そう決意した。
そして、関東リーグ3部となりスタートしたプレシーズン、調子は良かった。ドリブルの感覚も良く、タイで磨いたドリブルのキレが見えていた。迎えた初戦、国際武道大学とだった。途中交代で出場した。サテライトAから一緒にやってきた陸斗くんとのコンビネーションで流れを変える事ができた。しかし、0-1で敗戦。もっと出番を増やしてほしい、そう思った。すると、次の試合の作新学院大学戦ではスタメンで使ってもらえた。しかし、緊張か思うようにプレーできず終わった。とても悔しかったが、その後の試合からはもう緊張する事はなく、自分のプレーをする事ができた。数試合スタメンで試してくれた厚さんにはとても感謝しています。その後は、日本大学との試合で足の小指を骨折、1ヶ月半サッカーができなかった。その後はあまりうまくいかず、シーズンが終わった。東京経済大学でのヘディングでの得点、それだけだった。2部昇格はできず、自分もあまり成長できなかった、そんなシーズンだった。
そして最後の年になった。自分たちの代では関東2部昇格を絶対する。そしてチームに貢献し、活躍する。そう決意し、練習に励んだ。スタメンを勝ち取ることができ、チームとしていい状態で関東リーグを迎えた。しかし、あまり最初はうまくいかず、プレシーズンでできていたサッカーをうまく表現できずにいた。しかし、修正を重ねるたびに良くなり、ビルドアップの質も上がっていった。(分析部門長としてそこは感じていた)個人としては、東京学芸戦で得点も取ることができ、定着していった。その後悲劇は起きた。専修戦で接触し、腰を痛めた。ギックリ腰だった。この年でギックリ腰は情け無い。チームにも迷惑をかけた。1人では起き上がれない、腰の重要性を改めて感じる経験だった。そして、中断期間に入りまた挫折を経験した。出る試合すべての失点に関わる、これだった。原因は明らかだった。一対一、対人の弱さだった。そこから、自主練で一対一の練習をウィング同士で何度もした。そこでの高め合いはとても楽しく、一番短期間で成長する事ができたと感じている。悠、優羽、登爽には感謝している。ありがとう。中断期間も終わり、後期がスタートした。開幕5-1と快勝し、良いスタート出しだった。そして、城西、共栄を引き分けで終え迎えた専修戦、1Gすることができたが、自分が後ろを向きリスタートされて失点し2-3で負けた。本当にごめんなさい。でも、審判も悪い、しかも点も取った、チャラだな、そう考えて切り替えた。そこからあまりチームとしてうまくいかず、引き分けや負けが続いた。自動昇格は難しくなり、プレーオフを目指した。
東京経済大学戦で勝ち最終節に望みを繋いだ。
そして、最終節。
求められるのは、勝利のみ。そして他会場の結果次第ではあるが、得点も必要だった。
そして前半、事件が起こった。
安藤優羽のスーパーなクロスで失点する。4年間の集大成がこんな形で露わになるとは思わなかった。その後、セットプレーやチャンスもたくさんあったが決めきれず、試合終了の笛が鳴った。「サッカー人生終わっちゃった。でもやりきった!」そう思った。唯一悔しかったのは、このメンバーでもうサッカーができない事だった。
2025年11月15日 引退
これが私の大学サッカーでした。サッカーを通して出会えた人たちに感謝です。ありがとうございました。
同期へ
みんな青山学院大学体育会サッカー部に入部してくれてありがとう!このメンバーで本気でサッカーと向き合うことができて幸せでした。みんなと過ごした日々は、かけがえのない宝物です。社会人になってもそれぞれの道で頑張ろう!
両親へ
ここまで何不自由なくサッカーをさせてくれてありがとう!小学校の時から送迎や応援、お弁当などたくさんお世話になりました。これからゆっくり恩返ししていきます。本当にありがとう!
サッカーを通じてたくさんの人に出会い、支えられてきました。サッカーは1人ではできないスポーツです。それだからこそ、喜びを分かち合える。これがサッカー、チームスポーツの楽しさだと思います。勝利した時は喜び、仲間同士だけでなく応援してくれる家族やサポーターとも分かち合える。そんなサッカーが大好きです。ひとりで生きていないからこそ、生まれる感情があるんだとそう思います。私の大好きなバンドsuper beaverに「ひとりで生きていたならば」という歌があります。
ひとりで生きていないから
悔しさ込み上げるほどの
「大切」に出会えたんじゃないか
こだわって生きると
今一度言い切るよ
原動力はずっと
ひとりで生きていないこと
ひとりでは生きておらず、周りの人に支えられたから今があります。サッカーだけでなく、これからの人生でもひとりで生きていくことはないと思います。これから社会人になり、新たなステージで活動していくことになりますが、この歌詞を胸に刻み頑張っていきます。ありがとうございました。
2025/12/04 17:28