『ツケ』/山﨑瑛太
『ツケ』/山﨑瑛太
マイペースだらけの経営システム工学科のギリ常識人、安原大晴からバトンを貰いました。理工学部化学生命科学科3年の山﨑瑛太です。彼は相当熱いプレーヤーなのでブログも嘸かしエンタルピーの高いものだったと思います。それに比べると自分のはエントロピーの高いものになっていますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
最近、過去のツケが回ってきているのを感じることが多くなっている。サッカーの技術や勉強なんかは特に。もっと勉強していれば、もっと真剣に考えていれば、もっと必死になっていれば、もっと挑戦していれば、などタラレバをぐたぐだと考えてしまう。もちろん過去を振り返り、次に活かそうとする動き自体は否定しない。が、その過去に囚われてばかりではメンタルも行動も下向きになりやすい。
悲観的な話だが、過去という字には「過ち」という言葉が入っており、そのまま繋げるなら「過ちが去る」と捉えることもできる。つまり、過去というやつはその全てが過ちとも言える。それで言うなら未来という字は「未だ来ず」と成り、いつまでも来ないようにも感じる。人生は過去も未来もそんなものなのかもしれない。
今考えれば過去なんてその8割程が苦しいことや後悔の残るものである。だが、残り2割は華やかとはいかずとも後悔のないものである。自分で選んで来たこの20年の歳月が全て過ちということは絶対に無い。それだけは周りを見ればよく分かる。じゃあ、次々と出てくる過去への執着はどうしたものか。
一つ、考えさせられた考え方がある。「人生は一列のオセロで、生まれた瞬間に幸せの白を置き、その後は痛み苦しみで黒が並ぶ。それでも、どこかで再び幸せの白を置けたら今までの黒が全て白になる。」
人生そんな簡単じゃない。あの時感じた怒りや悲しみ、苦しみが全て幸せに変わるなんてそんなわけがない。そう思ったが、ただ、ほんの少しだけ思い当たる節があるから、完全には否定できない何処か愚直な考えに納得してしまった。
今、自分が出来ることはとにかく真っ当に生き、いつか白を置くために努力を続けること。白を置いた時にいっぱい黒の布石があった方が返り咲く白の数は多くなる。過去なんていつでもひっくり返せる、と考えておこう。
暗めの文章になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は8年以上の付き合いなのに未だ底が知れない男、山田咲助の登場です。おそらく面白いジョークが連発するはずなので、期待しておきましょう。
2025/06/16 14:11