『向き合い続ける』/茂木祐弥
あの徳川氏の家臣、曲淵吉景さんの子孫らしい、いつも話しかけてくる時はニヤニヤしている曲渕温生からバトンを受け取りました。法学部法学科1年の茂木祐弥です。1年生ということで、これまでのサッカー人生の振り返りと、今後の決意表明を述べる形にしたいと思います。長くて拙い文章となっているとは思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私はこれまで、ありがたいことに恵まれた環境でサッカーを続けてくることができました。小学生の頃は、県内の街クラブから浦和レッズジュニアに入団し、中学に入ってからは大宮アルディージャU15、高校はそのままU18チームでプレーしてきました。練習着やユニフォームは支給され、グラウンドも常に人工芝か天然芝。決して当たり前ではないありがたい環境でしたが、中学までの自分はその環境に甘えていた部分があり、サッカーと真摯に向き合えていたかと聞かれると、そうではなかった気がします。中学3年の時には鎖骨の骨折、膝の離断性骨軟骨炎で2度の手術を経験しました。1年間でサッカーをできた期間は1ヶ月だけで、公式戦の出場は0分でした。当時は本当に辛かったですが、今思い返してみると、これらの怪我は「サッカーともっと真摯に向き合いなさい。」という神様からのメッセージだったのだと思います。
高校に入ってからの私は、なかなかコンディションが上がらず、1、2年生の頃はプレミアリーグのベンチにも入れない日々が続きました。1年生の頃は、Bチームの公式戦にすら中々安定して出れず、周りは1年からプレミアリーグに出ている選手がいる中、劣等感でチームにあまり馴染めていなかったような気がします。3年のある先輩から「うまくいっていない時は徳を積め。」と言われたことを覚えています。
高校2年の時には、試合の帰りの車の中で「サッカー辞めたい。」と父に泣きながら話したことを覚えています。後にも先にもそんなことを言ったことはありませんが、そのくらいサッカーをするのが怖く、辛いような日々でした。辞めてしまえば楽になれるのではないか、と思って口にした言葉でしたが、父は「今辞めて本当に後悔しないか?」と寄り添ってくれました。母もこれまで怪我を乗り越えてきたことを褒めて励ましてくれました。うまくいっていない期間はコーチもよく話をしてくださり、その中で自分は、試合に出ることと同じくらい人間として成長することにも目を向けよう、と考えるようになったのと同時に、もう1度プロを目指し、以前よりも真剣にサッカーと向き合うようになりました。先輩からの言葉を信じ、寮の中に落ちているゴミを拾ったり、誰もいない場所の電気を消したり、学校でもクラスでゴミを捨てに行く人がいなかったら率先して捨てに行くなど、ピッチ外では徳を積み、運を蓄えました。体のケアにもより時間を割き、自分のプレーをより深く振り返るようになるなど、サッカーと向き合う姿勢が変化していく中で、謙虚な気持ちや周囲への感謝の気持ちが高まり、人間的にも成長することができたと感じています。3年になってからも主力として常に試合に出続けることができたわけではないですが、それまでの取り組みが少しは報われたのか、大事な試合で結果を残すことができましたし、何よりも自信を持ってプレーができるようになりました。
入学して半年を迎えようとしている現在、またも手術を伴う怪我でプレーできていませんが、体づくりのための期間だと思ってリハビリに取り組めているので、不安はあまりありません。むしろ復帰後の自分のプレーが良くも悪くもどうなっているのか、楽しみです。
先輩方はいい人ばかりですし、同期も面白い人が多いです。特に学部が同じ中里とは、1人暮らしの家が近いということもあり、お互いの家をよく行き来したり、一緒に料理をしたり、ほぼ半同棲のカップルみたいなことをしています。そんな仲間にも恵まれ、日々を過ごせています。たくさんの人の支えがあり、今もサッカーを続けることができていることに感謝し、その人たちの恩に応えるためにも、なんとしてもプロにならなければいけないと思っています。
これからもサッカー選手としての成長と1人の人間としての成長に目を向け、向き合い続けていきます。
長くまとまりのない文章になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。
次のブログ担当は、今なにかとアツい男、高身長ハイスペックイケメンの柳原凛久です。
時々学力マウントを取ってくる彼が、どんな素晴らしい文章を書いてくれるのか、期待です。
2025/11/03 15:57