動きの質
ゲームの中では歩く事もある。ジョギングする事もある。スプリントする事もある。
しかしながらすべての動きには意味がある。
歩きながらポジションをコーチングをする。ポジションを戻しながらコーチングをする。
ジョギングというかゆっくりと走りながら相手を動かす。
意図を持って動きながらスペースを作る。
相手を引き連れて味方の動きを手助けるる。
ゴールを目指してスプリントをする。
プレスバックの為にスプリントをする。
全ての動きには意味がある。
どのような動きにも質を求めて動く必要がある。
その為にはトレーニングの中から動きの質を改善する頭を持たなくてはならない。
アイツのボールタッチ独特だよね。
アイツのシュートのタイミングってキーパーワンテンポ遅れるよね。
アイツのパス、あんな所を見てるんだ。
アイツめっちゃ速いよね。縦に行かせたら止められないよね。
アイツ、ボール持つ姿勢が良いよね。
アイツ危険察知能力高いよね、インターセプト上手いよね。
アイツ身体強いね。
アイツのヘディング滞空時間長いよね。
これらは全てJr、Jrユース、ユース年代で交わされる会話であり、時にはアイツ天才だよねとか才能あるなとか、言われた選手である子供がいつのまにか競技サッカーからいなくなってしまう現実を多々見てきた。
確かに才能は存在する。
存在はするが、その才能を最大限に活かすには継続と努力が必要。
特にサッカーという競技は不確定要素が多い競技である。
チームの意思統一も必要、協調性も必要、ある意味のわがままも必要。
才能のある選手だけがサッカー選手になっているわけでは無い。ボールを蹴り始めてから数々の指導者の言う事を健気に聞いて来た選手が現在の上手いよね一という選手達。
大多数が才能と努力の継続をして来た選手である。
稀有な才能を持っていたとしても聞く耳を持たなかったり、努力の継続が出来ない選手は遅かれ早かれ上位の競技サッカー界からはいなくなる確率が高い。
よって努力の継続が最高の才能では無いだろうか。
育成年代(最終は大学生)であろうが、プロであろうがアスリートを目指す人間は、ある意味完璧を目指さないと上達速度が早くならない。
チームスポーツであれば中途半端は決してチームの為にもならない。
挨拶もしっかりでき、その挨拶も状況に応じて種類を分ける。
監督やコーチの話は徹底して聞く。
トレーニングは常に100%で臨み、リラックスや休養はしっかり取る。
身体に入るもの食事など栄養にも気を使う。
チームメイトや相手や審判へのリスペクトなどなど。
できれば育成年代に完璧に出来なくても、完璧を意識して行動することで、必ずや失敗が訪れる。
この失敗こそ成長曲線を上げることになる。
完璧は難しいが、意識させる事はできるはず。
頑張って言い続けよう。
育成年代の指導を始めた頃からだから約20年以上前になるが、「当たり前の事を当たり前にできるようにしよう。」とよく言ってきた。
朝起きたら「おはようございます」悪いことしたら「ごめんなさい」から始まり、時間を守りましょうなどなど社会生活の中での当たり前が沢山あり、サッカー面においても様々な当たり前があった。
最近におけるサッカーはかなり多くの当たり前が増えてきた、近代サッカーにおいては「ハードワーク」は当たり前、FWなど前線からのプレスは当たり前などなど、「当たり前」も時代と共に移り変わるのはあると思うが、古き良き時代からの当たり前が現在の子供達というか若者に上手く伝わってきていないと感じる事がよくある。
育成年代の人間教育とスポーツにおける進化は比例していると思う。
よって「当たり前」の事を当たり前にできるように具体的な事例を説明しながら根気よく話をしている今日この頃である。
人生を振り返る歳になると色々思う事、考える事、後悔する事、反省する事が数多く出てくる。
情けないと思いながらも自分と重ねながら今のサッカーマン(最近は大学生)を見ているとこれからの社会人人生で良い意味でチャレンジし続ける選手が如何に少ないだろうと感じざるを得ないことか。
またサッカーぐらいはチャレンジして欲しいとつくづく思う時が多い。
劣勢が当たり前の試合でもリスクを恐れてチャレンジせず、その間にイージーなミスでボールを奪われてショートカウンターを喰らう。
劣勢が当たり前であれば前にチャレンジをして失敗して欲しいと最近は思う。
人生の失敗は誰しもしたくないので安心安全の人間が多いのも頷ける。
しかしながらサッカーにおいての失敗は悔しさと楽しさが入り混じっているのである意味面白い。
人生での失敗はしたくないものである。
だから若いうちにサッカーという競技でチャレンジの醍醐味を味わって人生の判断に役立てて欲しいものである。
JFAニュース2025年1月号で興味深い記事(サッカー讃歌、美しいサッカーを)を読んだ。
帝京長岡高校総監督の谷口さんの記事。
育成年代という前提でレフリーのジャッジに異議を唱えず、はたまた自チームに有利となる判定が下されたとして、それがプレーヤー本人しか分からない事実をレフリーに伝えて自チームが不利になっても正直に申告する。
どんなジャッジにも不平を言わず次のプレーに切り替える。
最後に勝敗の結果に関わらず、レフリーをリスペクトしてゲームを終わる。
谷口さん自身も昔は勝利を目的にしていたのでレフリーに対しても不平不満を言っていた自分がいたが、最近は帝京長岡高校のそのような振る舞いが定着してきたと言ってみえた。
「心美しく勝つ」
我がチームは「品格を持って大人と為す」
私が言うのも変だが、彼も良い歳の取り方をしているなあと感じた記事である。
私も同感である。