一般社団法人町田サッカー協会オフィシャルサイト

アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター

沿革

1967年
  • 渋谷謙三氏(協会理事、当時町田市役所職員)を中心に町田にもサッカーをということで「トーターズ」が誕生。
1968年
  • 5月19日 町田サッカー協会が誕生。初代会長に現名誉会長が就任。結成記念として町田第一小学校で町田工業OB対町田南クラブの試合が行なわれた。
1969年
  • 町田社会人リーグが開幕し6チームが参加した。優勝は「電気化学」
  • 少年の部では、初めての大会が行なわれ、小学生5チーム、中学生8チームが参加した。
  • 8月には、日本サッカー協会主催による、全国サッカー少年団大会が鶴川地区を中心に開催された。これに地元代表として、中学生が「全町田」チームを編成参加した。
1971年
  • 全国サッカー少年団大会に全町田を編成、東京代表として、全国小学生チームと対戦、準々決勝まで進出。
  • 東京サッカー少年団大会でSSSクラブが決勝進出。
1973年
  • 第1回町田サッカー選手権大会(MFAカップ)が行なわれ、小学生10、中学生15、一般15が参加し激戦を展開した。
  • 全国サッカー少年団大会にSSSが出場、決勝トーナメントへ進出。
  • 小山FCなど少年団がこの年7団誕生
  • SSS専用サッカー場が完成、少年大会のメッカとなる。
1974年
  • 第1回小学生リーグ、中学生リーグが開幕。小学生18、中学生15チームが参加、小・中学生ともSSSクラブが優勝した。このリーグ戦が町田の少年サッカーのレベルアップの原動力となってきた。
  • 全国少年サッカー少年団大会で東京代表となったSSSクラブは、決勝戦に進出、全古河に1−2で敗れる。
1974年
  • 第1回小学生リーグ、中学生リーグが開幕。小学生18、中学生15チームが参加、小・中学生ともSSSクラブが優勝した。このリーグ戦が町田の少年サッカーのレベルアップの原動力となってきた。
  • 第1回町田招待、東京少年サッカー大会が行なわれ、全都から27チームが参加した。ベスト4は、優勝SSSクラブ、2位本町クラブ、3位油面クラブ、桃一クラブ。
  • 第1回町田招待、東京少年サッカー大会が行なわれ、全都から27チームが参加した。ベスト4は、優勝SSSクラブ、2位本町クラブ、3位油面クラブ、桃一クラブ。
1977年
  • 町田サッカー協会創立10周年記念行事が行われ、小学生の部に、町田リーグ、SSS、森野、小山の上位4チームと2部リーグ選抜が町田代表として参加。兵庫、徳島、熊本などの全国各地から12チーム参加。優勝は清水FC。中学生は全国中学生大会の優勝チーム古河一、浦和本太、さらに清水FCが参加、優勝は藤枝市の西益津中学校。高校の部は、藤枝東校と町田選抜が対戦、1対1の引分け。また一般の部は、日本リーグの読売クラブと対戦ジョージ与那城、ラモスなどブラジル勢の個人技に歯がたたず、1対7で負ける。あわせて十周年の記念誌が発行された。
  • 町田JCの協力で、常盤町に専用サッカー場が10月完成の予定。10月23日完成祝が行われた。
  • 一般リーグは3部制となり、20チームが参加。
  • 小学生は、18少年団となり、そのレベル差がなくなり激戦となっている。
  • 第1回全国少年サッカー大会東京大会にSSSクラブが優勝。ベスト4に町田から3チームが残る。(SSS、森野、境川)
  • 第14回町田招待東京少年サッカー大会で小山FCが優勝。
1978年
  • FC町田トレーニングセンター開始され、第2回全日本少年サッカー大会に出場。東京代表となり、読売ランドで行なわれた中央大会では、決勝まで進出。惜しくも清水FCに敗れて準優勝。
1979年
  • 少年サッカー場が完成。FC町田トレーニングセンターの練習場として、また各種大会の主会場ともなる。完成記念大会(5年生)が行なわれ忠生サッカークラブが優勝
  • 第3回全日本少年サッカー大会は、東京都予選に94チーム参加。全都を6ブロックに分け予選を行なうことになった。町田は、今までの実績と、所属するチーム数より、独立した1ブロックになった。東京予選はFC町田が勝ち得る。
1981年
  • 第5回全日本少年サッカー大会についに優勝。少年サッカー日本一となる。
  • MFAカップ、女子の部新設。小学生から一般までの5部門となる。
  • 少年サッカー場に日本一となった記念にナイター設備がつくられた。また、小山田サッカー場も完成
  • 第2回町田招待全国選抜大会で優勝。
1982年
  • 全日本少年サッカー大会連続優勝をねらうが、惜しくも清水FCに破れ、準優勝。
  • 小学生の部では、小山FCが全日本大会の優秀選手3名を中心によくがんばり、町田リーグの前期・後期を始として、JC杯、MFAカップと市内の大会のほとんどを制覇、さらに、第2回のキリンカップ、そして東京都のさわやか杯にも優勝。東京ナンバーワンとなる。
1984年
  • SSSクラブが、全日本サッカー大会に、東京代表として出場し、清水FCを破り堂々3位に入賞した。単独チームで、清水FCを破るのは大変めずらしいことで、町田のサッカーのレベルの高さを実証した。
  • 中学生では、FC町田ジュニアユースが高浜の大会に参加し、ベスト4になった。レベル的には読売ユースBと町田が特に高く、クラブジュニアユースでは、やはりFC町田がトップレベルにあることを証明した。
1985年
  • 全日本クラブジュニアー選手権大会にFC町田ジュニアユースが参加。過去最高のチームと評価され、米山君などを中心に、すばらしいサッカーを展開し、3位に入賞した。東京少年サッカー大会では、過去2年、読売ユースBが優勝していたが、3年ぶりに小山FCが決勝で読売を破った。
1986年
  • 第10回全日本少年サッカー大会に、町田代表として緑ヶ丘SC、大蔵FC、小川FCの三チームが出場した。大いに活躍したが、代表権は獲得出来なかった。
  • 第一回全日本クラブジュニアユース選手権大会が、長野県白馬で行なわれ、FC町田JYが東京都代表として参加した。鈴木,向井,花田らの活躍で、見事準優勝した。
  • この年の秋、記念すべきFC町田ユースが誕生した。高校生であり、高校のサッカー部に所属していない町田の少年クラブ育ちの高校生が15名が集まった。塚本君が初代キャプテンとなり、全日本クラブユース選手権大会めざしてトレーニングに励んだ。
1987年
  • 町田サッカー協会創立20周年記念事業
    (1)記念講習会、祝賀パーティー
     昭和62年10月22日、14時30分より、町田市民ホールで「父母のための講習会」が開催された。(財)日本サッカー協会・専務理事の長沼健氏を講師にお迎えし、各クラブから600人の父母も方々が出席し盛大に行われた。日本のサッカーが銅メダルを獲得した、メキシコオリンピックの時のお話、日本のサッカーに革命的な言葉と実践コーチィングを残したクラマーさんの話をユーモアたっぷりで、実にすばらしい講演会となった。専門的なお話もあったにもかかわらず父母の方々は、よく理解できたようであった。
    (2)講演会は、5時に、子どもたちが父母と交代して、市民ホールをうめた。参加者800人。講師は変わって、与那城ジョージ氏(読売サッカークラブ監督、元日本代表選手)。少年時代の話しから、子どもたちへのサッカーの楽しさ、面白さ、そして励ましの言葉と続いた。そのあと、ボールを使って実演。ボールを回転させたリフティングからの、オーバーヘッドキックまで、子どもたちを喜ばせた。はじめから終わりまで笑いの絶えない、楽しい講習会であった。
    (3)サッカーフェスティバル
    11月29日(日) 多摩市東公園、多摩市立陸上競技場。晴天ではあるが、すっかり冬を感じさせるような寒い一日であった。スタンドは五千人の観衆でうまった。
    A,記念セレモニー(12時)
    多摩市、町田市の両市を代表して、市長をはじめサッカー協会長、来賓の祝辞が続きはなやかなに式典が行われた。両市の結束のもと、さらにサッカーの発展に努めることが宣言された。
    B,町田VS多摩(一般の代表チーム)
    前座試合として、少年クラブ育ちの、20才前後の若い選手の楽しいゲームとなった。高い技術と自由な戦術がいたるところで発揮された。選手は、少年クラブのコーチも兼ねている人が多く、スタンドの少年たちから大きな声がわいた。
1988年
  • FC町田ジュニアユース 町田マジックで全国大会準優勝
  • FC町田ジュニアユースは第3回日本クラブジュニアユース選手権に出場した。諏訪、岸上、高野を中心に、戦う意識の強いチームで、決して個々人が素晴らしい技術を持ってはいなかったが、日産FCを破って決勝に進出した。決勝は読売に破れ準優勝であったが、まさに「町田マジック」で勝ち得た準優勝だった。この時のメンバーには、中学二年生に元セレッソ大阪の佐々木崇浩選手がいて、準決勝で得点を挙げた。
1989年
  • FC町田ジュニアユースは日本クラブジュニアユース選手権に出場、丸山、早坂、横田、都留を中心に快進撃し、準決勝では優勝候補筆頭の三菱養和に完勝し二年連続決勝に進出した。決勝ではまたも読売クラブに惜敗したが、この年から開催されることになった全日本ジュニアユース選手権(高円宮杯)への出場権を確保した。全日本ジュニアユース選手権(高円宮杯)は、2回戦で伊藤輝悦のいる袖師中学に惜しくも破れベスト8だった。
1990年
  • FC町田トップ結成 ユースは全国準優勝 野津田競技場完成
  • FC町田ジュニアユースは、第五回日本クラブジュニアユース選手権に出場。キャプテン林修一郎を中心に良く頑張りベスト8で読売クラブと対戦。0−1で惜しくも敗退。FC町田ユースは全日本ユース選手権に出場した。外丸、小池を中心に快進撃し初めて決勝に進出読売ユースに破れはしたが見事な戦いぶりだった。
  • 10月に野津田陸上競技場が完成。オープン記念で、読売クラブVS日本ユースの試合、コニカカップ(全日空VS日本オリンピック代表)が行われた。
1992年
  • 10ブロック選抜研修大会優勝 サッカーフェスティバル雪かきして開催
  • FC町田ジュニアの選手(星、山本、水谷、渡辺・・・)が中心となった10ブロック選抜が東京都選抜研修大会に優勝し、その素晴らしいサッカーが高い評価を得た。ジュニアユースは戸田、酒井、木町、渡辺、小山等素晴らしい人材が揃い、読売を破り日本クラブジュニアユース選手権に出場した。全国に町田のサッカーをアピールしようと張り切って参加したが、まさかのベスト8での敗退に指導者一同呆然とした。しかし高円宮杯全日本JY選手権関東大会でも読売に完勝し2度目の優勝を飾った。高円宮杯全日本JY選手権でも力を発揮し3位に入賞した。ユースも全日本クラブユース選手権に出場したが一次リーグで惜しくも敗退する。トップは東京都社会人リーグ3部で5位に終わる。
1993年
  • Jリーグ開幕 ドーハの悲劇−日本代表W杯の夢かなわず
  • FC町田ジュニアユースは、神崎、葛蔭、小守、山下、などが中心となり、日本クラブジュニアユース選手権に8回目の出場を果たしたが、ベスト16で敗退した。ユースは全日本クラブユース選手権3位の素晴らしい結果を残した。また、高円宮杯全日本ユース選手権に出場を果たしたのは立派だった。トップは東京都社会人三部リーグに優勝、二部昇格を果たした。
  • この年は日本のサッカー界にとって大きな転換期だった。それは、Jリーグ発足しサッカーブームが巻き起こったことだ。地域密着型のクラブをめざしスタートしたJリーグ10チームには、北澤、藤吉、鈴木、梅澤、飯島、といった町田出身の選手が所属した。また、日本代表はアメリカW杯の最終予選で、ロスタイムでの失点から、掌中にあった出場権を逃がした。(ドーハの悲劇)
1994年
  • 一般の登録チームどんどん増加 FC町田ジュニアユースイタリア遠征
  • FC町田ジュニアユースが初めて日本ジュニアユース選手権に出場できなかった。FC町田ジュニアユースが韓国遠征をやめ、イタリアに初めて遠征し、イタリアサッカー協会の指導者に指導を受けたり、地元のチームと親善試合を行った。
1995年
  • FC町田ジュニアユースは関東予選を勝ち抜き日本クラブジュニアユース選手権に、出場した。星、水谷、山本など小学校からのメンバーに伊藤、窪木、笠木などが加わり生沼監督の一貫指導のもと技術、戦術に優れたチームで、密かに白馬での大会で、初優勝をねらったがベスト8でジェフ市原に破れた。トップは天皇杯予選に参加勝ち進んだが、関東リーグ所属の九曜FCに惜敗した。
1996年
  • アトランタオリンピックで日本代表がブラジル代表を破る
  • FC町田ジュニアが船橋招待で見事に2回目の優勝を飾った。ユースでは原佑介が東京都の国体候補(U18東京選抜)に入りオランダ遠征に参加した。トップは東京都社会人リーグ二部準優勝で一部に昇格出来なかった。
  • アメリカのアトランタでオリンピックが開催され日本代表はブラジル代表を1−0で破る大金星をあげた。また、女子の日本代表には町田出身の大竹奈美選手が選ばれオリンピックに出場した。
  • U19日本代表ワールドユース出場権確保。町田出身の戸田選手もレギュラーで活躍。
1997年
  • サッカー協会30周年記念事業
1998年
  • 日本代表が念願のワールドカップ初出場
  • 日本代表がワールドカップフランス大会に出場。予選リーグ3連敗で敗退
  • 北澤選手が町田市民栄誉賞を受賞
2000年
  • 全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会に町田JFCジュニアユースが出場3位の成績を収める
2005年
  • FC町田ゼルビアが第39回関東社会人サッカー大会で、優勝関東リーグ2部に昇格
2006年
  • FC町田ゼルビアが関東サッカーリーグ2部で優勝で1部リーグに昇格
2007年
  • 町田JFCジュニアユースが全国大会に出場
  • 町田JFCジュニアが関東大会に出場
  • FC町田ゼルビアが関東サッカーリーグ1部で優勝
  • FC町田ゼルビアが全国地域サッカーリーグ決勝大会出場:1次リーグ敗退
  • 全国フットサルリーグ(Fリーグ)が開幕、町田市をホームタウンにするペスカドーラ町田は4位。(10勝10負1分)
2008年
  • FC町田ゼルビアが関東サッカーリーグ1部で優勝
  • FC町田ゼルビアが全国地域サッカーリーグ決勝大会出場:優勝でJFL昇格
  • ペスカドーラ町田がFリーグで2位の成績を収める。
  • 40周年記念式典 ラポール千寿閣(2月)
2011年
  • 町田サッカー協会が一般社団法人に(4月)
  • FC町田ゼルビアがJFLで3位になり悲願のJリーグに入会
  • 町田市立陸上競技場が改修
2012年
  • FC町田ゼルビアJ2で最下位(22位)で降格となりJFLへ
  • FC町田ゼルビア天皇杯で4回戦(ベスト16)の進出
  • 第92回天皇杯FC町田ゼルビア ベスト16(ガンバ大阪に敗戦)
2013年
  • 第15回日本フットボールリーグ FC町田ゼルビア4位でJ2昇格ならず
  • 2014年から新設されるJ3リーグにFC町田ゼルビアが参加
2014年
  • Fリーグオーシャンズカップ2014で、ペスカドーラ町田が準優勝
  • フットサル委員会を設立
2015年
  • 第39回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会にFC町田ゼルビアユースが出場
  • 第95回天皇杯FC町田ゼルビア ベスト16(浦和レッズに敗戦)
  • J3リーグ FC町田ゼルビア2位でJ2・21位大分トリニータと入替戦 2試合共勝利でJ2リーグへ昇格 (1戦目2−1・2戦目1−0)
  • 第21回フットサル全日本選手権でペスカドーラ町田が優勝
2017年
  • 第41回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会にFC町田ゼルビアユースが出場
  • AFC U-16女子選手権タイ2017 町田出身(境川イレブン)石田千尋がメンバーに選出される
  • 小林 悠 (町田JFC出身)がJ1得点王になる
  • 創立50周年記念事業プレイベントとして釜本邦茂氏を招き「ロッテ釜本サッカー教室」を開催
2018年
  • 第42回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会にFC町田ゼルビアユースが出場
  • 創立50周年記念事業として、日本代表OB選手と町田市選抜チームとの親善試合「宝くじスポーツフェア・ドリームサッカー in 町田」を町田市立陸上競技場にて開催、多くのサッカー元日本代表選手が参加
フォトクリエイト株式会社イーグル建創伊藤園サイバーエージェントGALLERY・2
Copyright©TOKYO MACHIDA FOOTBALL ASSOCIATION. All Rights Reserved.