名古屋産業大学サッカー部 オフィシャルサイト

〜小崎塾〜頑張る事の美学、頑張らない事の美学

体育会系で育った我々は、苦しくても辛くても頑張る事を良しとしてきた。当たり前のように頑張ることは良いに決まっている。しかしながら頑張る事、頑張らせる事が全て正しいかどうかは別である。

頑張る事で身体や精神がおかしくなることもある。頑張らせることで、元々好きで始めた事なのに嫌いになってしまうこともある。

現在は頑張らなくても良いんだよ。頑張ることが全てではないんだよ。という考え方もシチュエーションによってはあり得る。

ただ、物事を成就させるには頑張らなくては難しい。頑張らなくても成就出来るものってあるだろうか?

我々スポーツそれもアスリートを育てる側からすると、頑張らずして勝負には勝てないし、上を目指すことなど到底出来ないと考える。

体調が悪くても無理してトレーニングする事や、熱があっても学校に行く事が美学とされてきた昔。

現在はそんなに無理して身体がおかしくなったらどうするの?しっかり休みなさい。そんなに頑張らないで少しは立ち止まって考えてからまたスタートすれば良いんじゃない。という考えも浸透してきている。

どちらも正解である。

 

頑張ることは当たり前、頑張らない事も時には必要。この分岐点は難しい。

人として、またアスリートを目指す選手としては頑張る事は当たり前で、また無理というか150%で取り組む事が全てのレベルアップに繋がる。

 

頑張らない頑張れない選手は、本人は頑張っていると言っても常に頑張っていないように見られてしまう。

無理するな、頑張らなくても良いんだぞと言われる選手は、どこかでまた今までの中とんでもなく頑張ったからこそ、無理するなよと言われるのである。その線引きは簡単である。

どこかで無理をするぐらい頑張ってきた選手は、頑張らなくてもまた頑張れなくても自己判断出来る選手になっているはずである。

頑張ってきたこととか無理をさせられてきた事で、頑張らなくても無理をしなくてもいいと、自分でハッキリと判断できる選手は頑張る事、頑張らなくてもいい事どちらにも美学があるということを理解している人間である。

 

そもそも「頑張る」という言葉も抽象的で基準も曖昧ではあるが‥‥

2020/07/23 09:29
1
Copyright©NSU FOOTBALL CLUB. All Rights Reserved.